銀杏会|東京都立練馬高等学校同窓会

https://www.neritaka.com

あの先生はいま・・・

※練馬高校同窓会会報「銀杏の朋」第7号(2000年9月1日発行)に掲載させて戴いた原稿を、先生方の許可を得て転載しました。


練馬高校の思い出 -校舎改築に寄せて-
第六代校長 藁科 弘

 私が練馬高校に勤めたのは昭和六十二年春からの三年間でした。この年は、練馬高校改築の初年度でした。旧校舎が建って二十余年もう改築ですかと不思議がる方が多かったです。それは、同窓の皆さんも同じ気持ちだと思います。実はこの頃耐震強度の見直しが行われ、練馬高校の校舎は大地震では破壊の危険がある建物となり急遽改築となったのです。

 学校の改築は、教育活動は平常に行なわれている一方で進められるのですから、どうしても無理が掛ります。それを承知で障害が最小限になるように工夫しながら校舎の配置、仮校舎の建設、本校舎建築を進めた三年間でした。結果出来上がった校舎は大きさ、立派さもさ事ながら、耐震強度では前の校舎の数倍も強いものとなっています。

 他の改築校では近くにお住まいの方や、職員の主張などが足伽となって、計画が進まず困ったなど耳にしましたが、練馬高校では改築に協力戴いたお陰で設計施工共に計画期日より早めに進み、私の退職時には一期工事完成となり二期工事を、次代の鈴木先生に引き継ぐことができたのは、本当によかったと思うと同時に、当時ご苦労頂いた皆さんに改めて感謝申し上げる次第です。


御礼方々 失礼いたします
保健体育科 岡村 茂

 皆様、一緒の青春ありがとうございました。

 時が過ぎ社会が変わる。出会いがあり別離がある。時と共に人が変わり、学校も変わる。東京都立練馬高等学校も同じく変わる。それでも皆様の青春は変わらず、練高での想い出はいつまでも変わらず。

 皆様の青春、それは人生の始まりであり、ワンステップ。社会人となり、家庭人となり、さらにステップアップ。そして一人一人各々のステップアップが続く。その始まりは、夢と希望の、絶と情熱の、鳴呼青春の練馬高校なのでしょう。

 同じ青春ありがとうございました。

 東京都立練馬高等学校保健体育科教員として、同じ青春を共有させていただきました。しかし自分の練高での青春は、血と汗と涙の青春でした。それ由、その後の人生はステップアップではなく、過去の栄光の道から転がり落ちるステップダウン。

 転がり落ち続け、あの青春は最早や霧の彼方へ消え去ってしまいました。現在はあの頃とは無縁の世界、異質の仕事の自分となりました。もう失うものはない存在となりました。そんな人生となりました。

 皆様、ありがとう、さようなら。


お元気ですか
国語科 原田 あけみ(旧姓 上田)

 同窓会長の伊藤さんや同期の加々美さんが同じ都立高校教師という職に就いていたりして、お目にかかる機会もあり、練馬高校を心の中で親しく感じさせていただいておりました。

 組合の新聞でその加々美宏一くんの死を知ったとき、大きく動揺してしまいました。練馬で教師をさせていただいていた頃、授業の折りに「私の葬式に来るように。」などと言ったことがあります。それはとりもなおさず、私より先に逝かないように、ということでありました。そして、そうなるはずだと思っていたから、思いがけなくて、つらく、どうしたらいいかも分かりませんでした。

 今、母校近くの日比谷高校にいますので、中学や高校時代の友人と、親と教師として再び出会うこともあり、それをきっかけとして交友が戻ったりすることもありますが、昔の友人が落ち着いているというのは、それだけでとっても嬉しいことなのだと、しみじみ思うことがあります。

 私は年を取ったら、ずいぶん単純な人間になってしまいましたが、この間死んでしまった、中学時代の友人にもそんなことを言われたことがあります。その通夜の晩、大江戸線に初めて乗りました。春日町が便利になったようでした。

皆様、本当にどうぞお元気で。


練馬高校の思い出
英語科 荒木田 麗子

 私が練馬高校に着任したのは、昭和最後の六三年、練馬高校の改築が始まる年でした。四月一日には高熱を出し、八日の始業式は季節はずれの大雪というスタートでしたが、中央区の高校から転任したので、周囲の様子や自転車通学の生徒達を見て、のどかな学校という第一印象でした。

 でも旧校舎での一学期が終わると、二学期からはプレハブ校舎となり、怒涛?の練馬の生活が始まりました。

 平成二年二月新校舎完成、引越し、四月には新入生の担任となりました。その新入生達は、きれいな新校舎に一年生から入った最初の生徒達で、担任の三年間も本当に色々な事がありましたが、練馬の生徒達は、今の高校生と比べても、素直で素朴で可愛くて、教員という職業もいいなあと思った時期でした。また文化祭の担当をしたこと、生徒会の役員で劇を上演したことも大切な思い出です。

 私にとって、練馬高校での八年間は、教員として色々な事を学ばせてもらった時期でした。担任・クラブ分掌・各種委員会等色々な事を経験させて頂きました。今振り返ると、忙しかったけれど、純粋に頑張れた時期だったように思います。また若い先生方が多く楽しい職場でした。